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妄想の垂れ流し
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潜れません・・・かと言って事態が落ち着いた訳ではないダメ人間です。

私はもの凄く太一が好きだけれど、それを具体的に言葉で表そうとすると、あーでもないこーでもないと袋小路に入り込み、結局丸投げしてしまうことがよくあります。今も「かかなくてもいいか」と考えてたりする。が、太一の事を語りたい。
最近、太一のBADENDの動画を見ました。改めて見て、ただただ哀しかった。凄く哀しい姿だと思いました。こういう姿を内包した太一が、それでもそういう自分も大事にして克哉と生きていく事が出来て、そこから生まれるのが太一の音楽だったはずだから。BADもあれはあれで幸せ、と考えた時もありました。萌え、という意味では非常に萌えですが、でもやはりあれは「幸せ」ではない。あくまで私の主観です。
太一って一見、執着という感情から縁遠い存在に見えます。物に執着しない。人に執着しない。
きっと21歳まで、色んなものを捨ててきたんじゃないか。自分の中を占める「とても大事」なもの程、切り捨てていかなきゃいけなかった。奪われる位なら自分から捨てそうな子です。
そんな太一が克哉に見せるあの執着ってなんだろう。
それまで、色んなものを捨てた太一でも音楽をすることだけは捨てなかった。自分を守る最後の砦。でもそれを捨てた代償?もう、他に守るものがない。
ノマも一見執着心が弱そうに見えます。でもそんな事ないですよね。捨てられない人。自分が捨てることも捨てられることも怖い。というかそもそもノマ自体が、眼鏡が自分を捨てきらなかったために生まれた自我だもんな。
何だか妙に涙もろくなっています。うー、太克に飢えてる。
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